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■「コント55号」坂上二郎さんが死去・欽ちゃん、二郎さんに「ありがとうしかない」
坂上二郎さんが亡くなったことをうけ会見する萩本欽一さん
「コント55号」のコメディアンで俳優の坂上二郎さんが
10日午前9時40分、脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。
同日夜、東京・羽田空港で取材に応じた萩本欽一(69)は、
亡くなった坂上二郎さんについて「最高のコメディアンであり、相棒だった」
としのび、コント55号の今後については「幕引きです」ときっぱりと語った。
主な一問一答は次の通り。
--坂上二郎さんの訃報はいつ知った
「仕事先の富山県で車で移動中、知人から電話が掛かってきた。
その人は『二郎さんが…』と言ったまま絶句してしまった。
その直後に、ラジオのニュースで(訃報が)流れた」
--訃報を知ったときの気持ちは
「ごめんね二郎、遠くにいて、飛んでいけなくてごめんね、と」
--最後に会ったのはいつ
「昨年12月。舞台の打ち合わせを兼ねて病院にお見舞いに行った。
そのときに『(自分は)大丈夫』と言うので、『(十八番のギャグの)
“飛びます飛びます”できないだろう』と言ったら、“飛びます”の
指の形をつくり、『飛べませーん』とギャグで返された。
帰ろうとしたとき、二郎さんが握手を求めてきた。温かい手だった。
あのときは『俺がんばるぞ』という握手だと思ったが、
今思えばさよならの握手だったんだなあ…」
--坂上さんはどのような人だった
「とにかく笑いに貪欲だった。二郎さんは仕事後の楽屋で、
『汗かいたー!』と言って、全部(服を)脱ぐ。
そこまで一生懸命で汗をかくコメディアンは見たことがない。
また、テレビの仕事で、テレビ局から『45秒で収めて』といわれ、
僕はその通りにした。しかし二郎さんは結局1分半やった。
二郎さんは『お客さんを笑わせられないままコント55号は去れない。
お客さんが笑ったから(テレビ局も)許してくれるよ』と言っていた。
最高のコメディアンであり、相棒であり、友達だった」
--今後、コント55号はどうするか
「幕引きです。コント55号は二郎さんが僕に声を掛けてくれたことで
始まったものだから。その二郎さんが、一人で幕を閉めてしまった。
それでも僕は名残惜しいから、時々テレビで
『元コント55号の欽ちゃんです』とアドリブを飛ばすかもしれない」
--今日は坂上さんに泣かされたか
「泣きたいけれど、テレビの前では泣かない。なぜなら二郎さんは僕だけ
のものだから。家に帰って、お空にありがとうと言って、一人で泣きます」
--天国にいる坂上さんに届けたい言葉は
「二郎さんが亡くなって、たくさんの人が『すてきだったよ』と言って
くれている。僕が代わりにお礼を言っておくからねと伝えたい」
写真で振り返る 二郎さんと「コント55号」
私も「コント55号」は大好きでした。
まったく惜しい人が亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。
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